病と闘い、がん遺児励まし
池田貴族さん死去


 
 末期がんで入退院を繰り返しながらがん遺児のチャリティーコンサートに取り組んでいたロックシンガーの池田貴族(いけだ・きぞく、本名・貴<たかし>さんが25日午前3時35分、肝細胞がんのため名古屋市中区の病院で死去した。36歳だった。
 葬儀・告別式は27日午後1時、同市千種区田代町瓶杁60の1の大乗寺で。自宅は東京都大田区石川町2の3の16プレステート石川台504。喪主は妻一美(かずみ)さん。
 名古屋市生まれ。東京・原宿の歩行者で頭角を現したロックバンド「remote」のボーカルとしてTBSテレビのオーディション番組でデビューした。音楽活動のほかにも、心霊や超能力などに関する著作も若者の人気を集めた。1996年11月に肝臓がんの手術を受けたが9カ月後に再発。肺へも転移し今年2月までに計4回手術を受けた。闘病生活を自らつづった「HHCの疑いあり」(幻冬社)はロングセラー。

▼本紙に手記、反響呼ぶ
5月28日から毎日新聞東海面(中部本社発行)に毎週金曜日、「生」を真剣に見つめる手記「僕が僕であるうちに」を連載中だった。手記は、若者ら多くの人たちに大きな反響を呼んでいた。
 「10、11月とさまざまなイベントで地方へ行く事が多く、少し疲れがたまってしまい、現在自宅にて静養しています。ご心配をおかけいたしますが、1月ごろには復帰する予定です」(12月10日付)のメッセージが最後の手記となった。

 


最期まで生への強い意志持ち

 気丈に、毅然(きぜん)と死を迎えたという。最期の顔は安らかで、すさまじい闘病生活を送った者のそれではなかった−−。クリスマスになくなったロックシンガー、池田貴族さん。その生き方は男女年齢を問わず、多くの人に感動を与えた。一人娘の美夕ちゃんの記憶の残るためといい「3歳になるまでは死ねない、死なない」と断言していた池田さん。美夕ちゃん1歳10カ月のよう折だった。
 担当医師からは今月に入り、家族やごく親しい友人には池田さんの死期が近いことが告げられていたという。11月24日に名古屋市内の病院に入院する際も、本紙東海面で連載中の「僕が僕であるうちに」を休載する際も「静養」とされていたが、病状は既に全く手がつけられないほど悪化していたという。
 池田さん自身も入院当初、単なる疲労のための静養と思っていたが、最近になって自ら友人に電話をかけ、今年5月のチャリティーコンサートの企画に参加したミュージシャンのみうらじゅんさんや、池田さんがデビューするきっかけとなったバンド「remote」のメンバーなどと会っていたという。池田さんの事務所では「だれも言わなかったが、本人もひそかに死を覚悟していたかもしれない」と話す。
 医師たちは「まさに気力だけで生きている」と、最期まで生への強い意志を表す池田さんに驚いていた。友人らと会っている時は笑顔を絶やさず、事務所の関係者は「あいさつだけは欠かさない池田らしいの義理固さだった」と話す。
 24日午前6時半ごろ、一度、目を覚ましてから容体が急変したといい、それから意識が戻ることなく、両親や家族、友人らが見守る中、ゆっくりと息を引き取ったという。最期をみとった池田さんの友人は「最期まで生きることをあきらめなかった男の死に顔だった」と話した。[月足 寛樹]



これまでの池田貴族へ