|
03/01/09
|
|
|||||||||
![]() 森の木にどっしりと腰を下ろし気配をうかがう。ボッソウの森の住人だ ![]() 民家が密集する村のすぐ裏にはチンパンジーがすむバンの森がある ![]() 村のメーンストリートを学校へ急ぐ子供たち |
照りつける太陽、むせ返るほどの暑さと湿気、そして、原色の光の渦。生きることへの執念を持ち続けなければ、たちまち、大自然の餌食になる気がした。 西アフリカ・ギニアの山村、ボッソウ村。 野生チンパンジーの研究と環境保護運動の最前線だ。 危機にひんした世界遺産「ニンバ山厳正自然保護区」に近い。 長い間、村民は裏山のチンパンジーと共生してきた。 近年、難民流入による開墾でチンパンジーの生活圏が脅かされ、村人たちは壮大な植林事業を始めた。 新聞記者として世界で初めて、ギニア政府からこの村への入域許可を得た。 底抜けに明るい村人たちの姿、怖くなるほどの自然の豊かさも報告したい。 同じ祖先から枝分かれした「進化の隣人」、ヒトとチンパンジーが同じ大地に生きてきた意味を確認するために。 関西空港を出発して約40時間後。パリでの乗り継ぎを経て、ギニアの首都コナクリに近づいた。窓の向こうのサハラ砂漠の幾何学模様は、一面の緑に 変わった。深い森の中、大小さまざまの川が分岐や合流を繰り返している。着陸態勢に入ると、ギニア保健省高官だという隣席の女性が話しかけてき た。「ギニアはとても豊かな国よ」。最高6000ミリを超える年間雨量が生み出す自然の豊かさは、実りの多さでもある。 目指すボッソウ村は、リベリア、コートジボワールとの国境近く。この空港から南東約1000キロ。国内線と車を乗り継がねばならない。 ギニアは遠い国だ。時差9時間という地理上の理由だけではない。同国の要路では軍警察「ジャンダルメリー」が常時検問している。気楽に観光ができる国ではないことも遠さの一因だろう。在留邦人は約30人。滞在目的はほとんどがコメ栽培などの技術支援という。 私と平田記者は、愛知県犬山市の京都大霊長類研究所と学術交流協定を結んでいるギニア科学技術局の配慮で入域許可を得ることができた。入国の際、同局職員から手渡されたのは「科学技術研究遂行許可証」と「業務命令書」。物々しい名称の書類だ。氏名、住所はもとより、滞在地や移動手段まで明記され、責任者のサインと公印がある。 「研究テーマ」の欄には「チンパンジー研究や植樹計画の現地取材」と記されていた。ギニア政府の業務命令を記者が遂行するという形式だ。驚く私たちを職員が笑った。「何しろ新聞記者が来るのは初めてだからね」 形式的な書類だろうと思っていたら、ボッソウに到着後、すぐに隣の国境の村に出頭するよう命じられた。駐在する国境警察の責任者が、到着日を書類に書き込むためだった。 「2通の書類は、水戸黄門の印ろうのようなもの」。出発前、霊長研の松沢哲郎教授(52)からこう聞かされていた。 隣国リベリアの内乱が緊迫した00年9月、ボッソウでチンパンジーを追っていた日本人研究者が陸路首都へ脱出した。首都に至るには百数十カ所の検問をクリアしなければならなかった。だが、この2通を所持していたお陰で民兵の検問も無事に通過できたという。 むろん書類が行動を規制する場合もある。観光名所とされるボッソウ近くのツル草のつり橋を見に行った時には、途中で軍警察の指揮官に「許可証にない所へ行くことは許されない」と宣告された。 徹底した文書統制。フランス植民時代の影響か、それとも58年の独立後に続いた社会主義独裁体制の名残なのか。 コナクリから旧ソ連製50人乗りの旅客機で、山岳地方の州都ヌゼレコレへ。水や食料、燃料を買い込んで、ボッソウ村へ約60キロの道のりは、霊長研ボッソウ研究施設の軽四輪駆動車「サムライ」号の出番だ。 後半20キロの上り道は幅3メートルの赤土の国道。両脇には高さ3メートル近いアシが壁のように茂る。洗濯物や鍋を頭に乗せた極彩色の服の女性たちが、車が行き過ぎるまでアシの中へ身を隠すのが見える。車は30センチもの亀裂や凸凹を越え、このまま粉々になりそうなスピードだ。 カーステレオからは、同じ小節を際限なく繰り返すようなギニア音楽の大音響。車内は暑く、意識がもうろうとする。リベリア帰りの運転手、スワさん(38)が、ハンドルを握る二の腕をブルブルと震わせながら叫んだ。 「寝るんじゃない。全部見ていけ。これがアフリカだ」 下り道に差しかかり、標高500メートルのボッソウ村の家々と、チンパンジーが暮らすというバン山が見えてきた。 |
||||||||
| ■■■■■もどる |
つづく
|
||||||||
|
|